ジミー・ウィン

HOU(1963-1973)-LAD(1974-1975)-ATL(1976)-NYY(1977)-MIL(1977)
通算成績 1920試合 .250 1665安打 291本塁打 964打点 225盗塁 fWAR52.8
獲得タイトル:カムバック賞1回
1969年 149試合 .269 133安打 33本塁打 87打点 23盗塁 fWAR6.7
Toy Cannon
身長175センチと当時の現役選手の中でもかなり小柄な部類であったが、シーズン30本塁打をコンスタントに狙えるパワーと強肩を兼ね備えていたことから“Toy Cannon(おもちゃの大砲)”のニックネームで親しまれたスラッガー。
ウィンは、打者の墓場アストロドームでプレーしながら、1967年には37本塁打を記録。“投手の年”と呼ばれた1968年も26本塁打とパワーヒッターとして頭角をあらわした。
ウィンは選球眼もずば抜けており、1969年には当時のナ・リーグ記録に並ぶシーズン148四球を選び、出塁率.436をマーク。6月4日から8月3日までの52試合連続で出塁という偉業も成し遂げており、これは現在もアストロズの球団タイ記録になっている。
セイバーメトリクスが普及した現在では、圧倒的な出塁能力が評価されて然るべきだが、ウォーカー監督はアベレージを重視しており、ウィンとの関係は年々悪化。ウォーカー監督は1972年に解任されたが、後任のレオ・ドゥローチャー監督とも相性はイマイチで、1973年オフにドジャースにトレードされてしまった。
ドジャースではウィン曰く「自由にバッティングをさせてくれた」とのことで、1974年には32本塁打、キャリアハイとなる108打点をマーク。108四球と卓越した選球眼も健在で、MVP投票でも5位にランクイン。同年のfWARは7.4とセイバー的にもリーグ屈指の選手であった。
ウィンがアストロズで放った223本塁打は、当時のアストロズの球団最多記録であり、現時点でも歴代7位の数字。こうした実績も評価され、2005年には背番号24がアストロズの永久欠番に指定された。




査定に関して
走力B
ウィンは1965年に43盗塁をマークしており、パワーだけでなくスピード面も優秀な選手。全盛期はいわゆる5ツールプレイヤーに近い存在であった。
インコースヒッター・対ストレート◯
ウィンは速球に無類の強さを誇ったようで、1969年はアウトコースに低めに変化球ばかり投げられるという徹底マークぶり。当時のチームメイトのモーガンも「ウィンの打席では速球を見ることがない」とコメントするほどだった。