ケビン・ミッチェル

NYM(1984,1986)-SD(1987)-SF(1987-1991)-SEA(1992)-CIN(1993-1994)-ダイエー(1995)-BOS(1996)-CIN(1996)-CLE(1997)-OAK(1998)
通算成績 1223試合 .284 1173安打 234本塁打 760打点 30盗塁 fWAR29.6
獲得タイトル:MVP1回、本塁打王1回、打点王1回、シルバースラッガー賞1回
1989年 154試合 .291 158安打 47本塁打 125打点 3盗塁 fWAR6.9
カネと共に去りぬ
ジャイアンツ時代の1989年に47本塁打、125打点で二冠王に輝き、MVPのタイトル獲得。レッズ時代の94年も95試合で30本塁打、打率.326、OPSはリーグ2位の1.110と圧倒的な成績を残したスラッガー。
ミッチェルは94年オフにFAとなったが、当時はストライキの真っ只中。95年の開幕も危ぶまれ、オフにはフリオ・フランコ、シェーン・マック、グレン・デービスら現役バリバリのメジャーリーガーが相次いで来日し、ミッチェルもダイエー・ホークスと1年4億円と当時としては最高クラスの待遇で迎え入れられた。
ミッチェルは開幕戦で郭泰源からグランドスラム、2戦目も小野からホームランと鮮烈デビュー。ボブ・ホーナー以来の黒船襲来とホークスファンは歓喜したが、次第に仮病や、膝の故障を訴えてサボり出し、5月26日には緊急帰国。
7月末に日本に戻ってくるも、そこからわずか9試合プレーしただけで、再び故障を訴え、8月11日にまたもや帰国。ミッチェルはそのままアメリカにとどまり、事実上の退団となった。
ダイエーでの出場数はわずか38試合、打率.300、8本塁打(シーズン30本ペース)にとどまり、ミッチェルは球団史に残る「ハズレ助っ人」としてホークスファンに深い爪痕をのこした。
なお、ミッチェルはトニー・グウィンから「インコースは引っ張ってホームラン、アウトコースの変化球は流し打てる」と絶賛されるなど、バッティングは天才そのもの。
しかし、若手時代からトラブルメーカーとして知られ、練習サボりや遅刻は当たり前。1991年には強姦容疑で捜査され、ジャインツ時代のGMアル・ローゼン氏は「トラブルがついて回るのではない。ミッチェル自身がトラブルそのものだ」とコメントするほど。
ホークス退団後は4球団をたらい回しにされ、1999年には暴行事件を起こし逮捕。独立リーグで監督を務めた2000年には乱闘中に相手オーナーをぶん殴り、出場停止処分を受けるなど、問題行為を起こしまくった。




査定に関して
初球◯
1989年は初球打率.420、14本塁打、OPS1.459
プレッシャーラン
ミッチェルはいわゆる殺人スライディングをしかけるタイプ。日本でもオープン戦で挨拶がわりの併殺崩しを披露した。
マルチ弾
1989年は6回のマルチ弾を記録。