ルイス・ティアント

CLE(1964-1969)-MIN(1970)-BOS(1971-1978)-NYY(1979-1980)-PIT(1981)-CAL(1982)
通算成績 573登板 229勝172敗 防御率3.30 2416奪三振 15セーブ fWAR54.8
獲得タイトル:最優秀防御率2回、カムバック賞1回
1974年 38登板 22勝13敗 防御率2.92 176奪三振 fWAR6.1
変幻自在のトルネード投法
背中がホームベースに向くほど大きく捻る個性的なトルネード投法で知られるレッドソックスのエース。
ティアントはニグロリーグのレジェンド左腕ルイス・ティアント・シニアの息子で、18歳のころからメキシカンリーグでプレー。その後、1961年にインディアンズと契約を結び、64年にメジャーデビュー。
インディアンズ時代は本格派右腕として鳴らし、“投手の年”こと1968年には現在のア・リーグ記録となる防御率1.60をマーク。
しかし、ティアントは翌年から肩の故障に悩まされ、1971年開幕前に事実上の戦力外通告を受けることに。ティアントはブレーブスとマイナー契約を結び、そこで球速低下を補うためにトルネード投法とオーバー、スリークオーター、サイドと複数のアームアングルを駆使する幻惑投法をマスター。
このモデルチェンジによりティアントは再び球界トップクラスの先発投手に生まれ変わり、レッドソックス加入2年目の1972年には15勝、リーグトップの防御率1.91をマーク。
その後も73年、74年、76年と3度のシーズン20勝を記録し、レッドソックスのエースとして絶大な人気を誇った。
ティアントはキューバ革命前に渡米していた関係で、家族とは離れ離れになっていたが、1975年に当時の上院議員マクガヴァン氏がカストロ議長に両親が渡米できるよう交渉し、同年8月に14年ぶりの再開を実現。
こうした心温まるエピソードや、いい意味で強烈なキャラクター、そしてキューバ出身投手としては歴代1位の通算229勝という実績もあって、ティアントの殿堂入りを推す声は絶えず、ベテランズ枠で晴れて殿堂入りを果たす日はそう遠くないと言われている。
球種はスライダー、カーブ、パーム、ナックル。
ティアントは他にもスローカーブも投げていたらしいが、今回はパワプロの使用上オミット。



査定に関して
変幻自在
上記の幻惑投法エピソードから。ちなみにティアントはハイライトを見る限り、明らかボークのような焦らしをかけていたが、ティアント特別ルールということでボーク扱いにならなかったようだ。
フライボールピッチャー
ハイライトではやたらとフライアウトが多く、現地の記事でもティアントはポップフライが多いとの記述を見つけた。