ハンク・グリーンバーグ
DET(1930,1933-1941,1945-1946)-PIT(1947)
通算成績 1394試合 .313 1628安打 331本塁打 1276打点 58盗塁 fWAR60.6
獲得タイトル:MVP2回、本塁打王4回、打点王4回
1938年 155試合 .315 175安打 58本塁打 146打点 7盗塁 fWAR7.7
MLB最初のユダヤ系スーパースター
昨今のメジャーリーグではライアン・ブラウンやイアン・キンズラー、ショーン・グリーンら数多くのユダヤ系メジャーリーガーが活躍しているが、ユダヤ系として最初にスーパースターの座に就いたのが今回作成したハンク・グリーンバーグだ。
グリーンバーグがメジャーデビューした1930年代はユダヤ系への偏見が強く、当初はバッシングを浴びせられたが、メジャー実質2年目の1934年にリーグ6位の打率.339をマーク。MVP投票にもノミネートされるなど、アンチを見事、実力で黙らせた。
続く1935年には打率.328、リーグ1位の36本塁打、同じく1位の170打点を挙げ、ユダヤ系メジャーリーガーとしては初のMVPのタイトルを獲得。
グリーンバーグにとってのキャリアイヤーは1938年。同年は当時のMLB記録となる11試合でマルチ本塁打を放つなど、圧倒的なパワーで本塁打を量産。最終的にベーブ・ルースの60本塁打肉薄する58本塁打を放ち、本塁打王のタイトルを獲得した。
グリーンバーグは第二次世界大戦が始まると、アメリカ軍に入隊。1941年から45年まで従軍し、最終的に大尉まで上り詰めている。
久しぶりのフルシーズンである1946年はリーグ最多の44本塁打を放ち、ブランクを全く感じさせないバッティングを見せつけた。
グリーンバーグは前述の通り、大戦で約5シーズンを棒に降っており、もし戦争がなければ通算500本塁打を軽く超えていたと言われている。
グリーンバーグは引退後、持ち前の頭脳を活かしてインディアンズやホワイトソックスのフロントとしてチームの再建に注力。ホワイトソックスのフロント在籍中の1956年には殿堂入りも果たしている。
査定に関して
プルヒッター
グリーンバーグのプレイ映像を見ると打球がレフト方向に集中しており、基本的にプルヒッティングを心がけていた模様。
威圧感・選球眼
1938年はリーグ最多の119四球。当時は敬遠の記録は残っていないものの、これほど四球が多いとなるとグリーンバーグと勝負を避けていたことは明らか。
サヨナラ男
1938年8月19日のブラウンズ戦でサヨナラ本塁打を記録。
満塁男
1938年は2本のグランドスラムを記録。