デーブ・パーカー

PIT(1973-1983)-CIN(1984-1987)-OAK(1988-1989)-MIL(1990)-CAL(1991)-TOR(1991)
通算成績 2466試合 .290 2712安打 339本塁打 1493打点 154盗塁 fWAR41.1
獲得タイトル:MVP1回、首位打者2回、打点王1回、シルバースラッガー賞3回、ゴールドグラブ賞2回、最優秀指名打者賞2回
1978年 148試合 .334 194安打 30本塁打 117打点 20盗塁 fWAR6.8
The Cobra
2025年にディック・アレンとともにベテランズ枠で殿堂入りを果たした強打者。
パーカーはニカラグア大地震の援助の途中、非業の死を遂げたロベルト・クレメンテの後釜としてライトのレギュラーに定着。
1977年にリーグ最多の26補殺とクレメンテを彷彿とさせるキャノンアームに加え、バッティングでは77年から2年連続で首位打者に輝くなど、全盛期は5ツールプレイヤーと言っても過言ではない活躍ぶり。
1978年にはMVP、1979年には米スポーツ史上初の100万ドルプレイヤー&ワールドシリーズ制覇と順風満帆のキャリアを歩んでいたパーカーだったが、1980年代に入るとでっぷりとした体型に変わり果て、故障がちに。
さらに1985年にはピッツバーグ薬物裁判*1でコカインの常用が発覚し、大バッシングを受けることに。
最近のメジャーリーガーでもドラッグに溺れ、キャリアを棒に振る選手が多い中、パーカーは85年に打率.312、34本塁打と復活。アスレティックスに移籍してからはフルタイムのDHに転向し、ブルワーズ時代の1990年にはシルバースラッガー賞と息の長い活躍を見せた。
殿堂入り投票では前述のドラッグ問題から得票率は最高でも24%と伸び悩んだが、2025年にベテランズ枠で晴れて選出。殿堂入りが決まった時点で、パーカーはパーキンソン病と戦っており、殿堂入り式典の1ヶ月前に帰らぬ人となってしまった。




査定に関して
守備C
パーカーは守備の名手という評判で、1977年にはMLB記録となる381刺殺をマーク。同年はTZもプラス25と守備S、魔術師クラスの守備力を誇ったが、翌年以降は雑な守備が目立ち、1978年はTZプラマイゼロにまで悪化。
ホーム突入
パーカーは本塁上での強引なクロスプレーでも知られ、78年6月30日のメッツ戦ではキャッチャーとの交錯時に顎と頬骨を骨折する大怪我に。シーズン終了となってもおかしくはない重傷にも関わらず、パーカーは特性のフェイスマスクを着用し、わずか2週間で戦線に復帰し、その後も欠場なしでプレーし続けた。
威圧感
1978年はリーグ最多の23敬遠。
エラー
パーカーは1975年から5シーズン連続でリーグ最多失策。
*1:パイレーツを中心にコカインが広まり、スタージェルやパーカーらスター選手もドラッグの売買に関わっていたことが発覚。コカインの販売に関わった11人のメジャーリーガーが執行猶予つきの出場停止処分を言い渡された。