ディック・アレン
PHI(1963-1969)-STL(1970)-LAD(1971)-CWS(1972-1974)-PHI(1975-1976)-OAK(1977)
通算成績 1749試合 .292 1848安打 351本塁打 1119打点 133盗塁 fWAR61.3
獲得タイトル:MVP1回、本塁打王2回、打点王1回、新人王
1972年 148試合 .308 156安打 37本塁打 113打点 19盗塁 fWAR8.0
Wampum Walloper
2025年にベテランズ委員会枠で殿堂入りを果たした強打の内野手。
アレンはルーキーイヤーの64年にいきなり打率.318、29本塁打の好成績を残し、新人王のタイトルを獲得。
アレンは球界を代表するサードの一人にすぐさまなった一方で、「(史上初のドーム型球場のアストロドームに対して)馬が食えない(人工芝の)フィールドでプレーできるか」という迷言に代表される歯に衣着せぬ発言で知られ、情熱的もとい過激なファンが多いフィリーズとの相性は最悪。
当時はまだ人種差別も横行しており、ファンからのブーイングは絶えず、時には物を投げつけられることも。
我慢の限界に達したアレンは69年オフにトレードを志願し、カーディナルスに移籍。
カーディナルスでは、デビュー戦でスタンディングオベーションが起こるなど歓迎ムードでアレンも感激。それに応えるように34本塁打、101打点と好成績を残し、オールスターにも選ばれた。
その後はトレードで強打者を求めるチームに移籍を繰り返し、1972年にはトミー・ジョンとのトレードでホワイトソックスに加入。
アレンにとってのキャリアハイはホワイトソックス時代で、72年、74年にははリーグトップの本塁打を記録。特に72年は113打点で二冠王に輝き、MVPのタイトルを獲得している。
ホワイトソックスはアレンの加入で勢いづき、観客動員数も1.4倍に増加。72年オフには当時の最高額となる3年70万ドルの契約を結んでいる。
アレンは投手有利な時代にプレーしていたにも関わらず、通算で351本塁打を記録。また、スピードも兼ね備えたバランスの良い選手であったこともあり、通算WARも60オーバー。
そのため、記者投票のBBWAAでの殿堂入りを逃したが、ベテランズ委員会では2021年から殿堂入り候補として再ノミネートされ、見事2025年に殿堂入りを果たしている。
査定に関して
走塁A
1972年7月31日のツインズ戦でライブボール時代以降では初となる2本のランニングホームランを記録。
アレンはルーキーイヤーにリーグ最多となる13本のスリーベースヒットを記録するなど、走塁センスはかなり高かった。
広角打法
アレンは逆方向にも強い打球を飛ばすことに定評があり、フィリーズ時代には本拠地のコニーマックスタジアムで右打者では不可能と言われていたライト方向のスコアボードを超える本塁打を2本も放っている。
マルチ弾
1972年はマルチ本塁打を4回記録
満塁男
満塁のシチュエーションではホームランこそは出なかったものの、打率.556、OPS1.418と猛威を振るった。
サヨナラ男
1972年は4月26日のインディアンズ戦と6月4日のヤンキース戦でサヨナラ本塁打を記録。