マニー・ラミレス
CLE(1993-2000)-BOS(2001-2008)-LAD(2008-2010)-CWS(2010)-TB(2011)
通算成績 2302試合 .312 2574安打 555本塁打 1831打点 38盗塁 fWAR66.3
獲得タイトル:首位打者1回、本塁打王1回、打点王1回、シルバースラッガー賞9回、ハンク・アーロン賞2回
1999年 147試合 .333 174安打 44本塁打 165打点 2盗塁 fWAR7.5
Manny being Manny
Manny being Manny(マニーはマニーだから…)という愛称が示すように自由奔放なプレースタイルで知られる稀代の天才スラッガー。
ラミレスはパワーとアベレージを両立させた打撃面においては完璧な選手で、通算打率.312のハイアベレージを残しながらMLB歴代15位の555本塁打、18位の1831打点をマーク。
通算打点から分かるようにラミレスは非常に勝負強いバッターであり、インディアンズ時代の1999年にはオールスター前に96打点に到達。これはオールスター前に記録した打点としてはMLB歴代3位の数字だった。
ラミレスは最終的にシーズン165打点をマーク。これは伝説の強打者ジミー・フォックスが1938年に記録した175打点以来、最高の数字であり、インディアンズの球団記録を樹立。
ちなみにラミレスは15試合を欠場しており、もしフルシーズン出場していたらシーズン181打点に届いていた模様。
ラミレスは2001年オフに10年総額2億ドルの特大契約でレッドソックスに移籍。レッドソックス時代は同郷のデビッド・オルティーズとクリーンナップを組み、2004年にはラミレス43本、オルティーズ41本と大暴れし、レッドソックスとしては86年ぶりのワールドシリーズ制覇に貢献。
バッティングに関しては大型契約に相応しい成績を残していたが、ラミレスの崩壊スレスレの外野守備とフィールド外でのあまりにもフリーダムな振る舞いに対して、フロントは頭を悩ませており、2008年シーズン途中にドジャースに放出されてしまった。
ドジャースではわずか53試合の出場ながら打率.396、17本塁打と驚異的な成績を叩き出し、チームの地区優勝に貢献。MVP投票でもシーズンの約1/3しかナ・リーグでプレーしていないにも関わらず4位にランクインし、話題になった。
ラミレスはここまでは殿堂入りも視野に入る活躍をしていたが、2009年にドーピングが発覚し、50試合の出場停止に。レイズ時代の2011年には2度目のドーピングが発覚し、100試合の出場停止処分となったが、ラミレスは処分が下る前に現役引退を表明し、MLBでのキャリアに幕を下ろした。
その後、ラミレスはMLB復帰を目指してドミニカ、台湾と各国のプロリーグを転々。2017年には日本の独立リーグ(四国アイランドリーグ)の高知ファイティングドッグスでもプレー。四国アイランドリーグでは故障のため出場試合数は23試合にとどまったが、打率.413、3本塁打、22打点と格の違いを見せつけていた。
ラミレスは2017年から殿堂入り投票の対象になったが、前述のドーピング問題の影響で得票率は30%弱と支持は得られず、このまま落選することが濃厚だ。
査定に関して
守備E
マニー・ラミレスはレッドソックス時代の緩慢守備のインパクトや、通算DRSマイナス90という数字から守備F相当が適正と思われがちだが、1999年は比較的やる気があり、TZではプラス3をマーク。
勝負師
1999年にマークした戦後にプレーした選手としては歴代最高となる165打点を讃えて。なお、ラミレスは得点圏で打率.383、OPS1.237と指標上でもチャンスにめちゃくちゃ強かったことがよく分かる。
Nishiのこぼれ話
ラミレスは天才打者という世間の評価から全く練習しないタイプの選手と誤解されがち。実際には、対戦相手の投球内容をビデオでじっくり分析するタイプであり、陰では並々ならぬ努力をしていた模様。