
スモールベースボール時代の到来
1980年代は比較的投高打低の傾向が強く、そのため足を駆使したスモールベースボールが台頭。
ホワイティ・ハーソグ監督率いるカーディナルスはオジー・スミスを筆頭に俊足堅守の選手を軸にしたチームづくりで82年にワールドシリーズを制覇。
リッキー・ヘンダーソンがMLB新記録となるシーズン130盗塁を成し遂げたのもこのディケイドである。
また、投高打低の原因の一つに投手分業制が確立されつつあったことが考えられ、ブルース・スーター、リー・スミス、ダン・クイゼンベリーらを筆頭にいわゆるクローザー的存在を各チームが擁するようになった。
ちなみに、1980年代はFA制度が導入されたものの、圧倒的な強さのチームは現れず最初の8年間は毎年異なるチームがワールドシリーズを制覇していた。
なお、1980年代は良いニュースだけではなく、81年に起こった50日間にわたるストライキや、ピッツバーグパイレーツで麻薬が蔓延し、社会的にも問題になるなど影の部分が如実に現れてしまった時代でもある。
All Decade Team 1980’s オーダー
キャッチャー:ゲイリー・カーター
1982年 154試合 .293 163安打 29本塁打 97打点 2盗塁 fWAR8.4

1980年代にプレーしたキャッチャーで頭ひとつ抜けていたのが「キッド」ことゲイリー・カーター。カーターは攻守揃ったキャッチャーで80年代はシルバースラッガー賞5回、ゴールドグラブ賞も3回受賞。1985年にはメッツの正捕手としてチームのワールドシリーズ制覇に大きく貢献。
ファースト:ドン・マッティングリー
1986年 162試合 .352 238安打 31本塁打 113打点 fWAR7.2

1980年代を代表するファーストとして名前が挙がるのがマッティングリーとエディ・マレーの二人。fWARではエディ・マレー(47.7)、マッティングリー(31.9)とマレーに軍配が上がるが、キャリアハイのWARではマレー(6.8)、マッティングリー(7.2)とマッティングリーがやや優勢。
多くの有識者はマレーを選ぶと思うが、84年から87年にかけてのマッティングリーは毎年首位打者争いに加わり、OPSも.900オーバーとリーグ屈指の強打者であり、85年にはMVPを受賞。今回は全盛期のインパクトの大きさでマッティングリーを選出した。
セカンド:ライン・サンドバーグ
1984年 156試合 .314 200安打 19本塁打 84打点 32盗塁 fWAR8.0

80年代のセカンドは歴代最多の7回(80年代は4回)のシルバースラッガー賞、ナ・リーグ記録となる9回(80年代は7回)のゴールドグラブ賞に輝いたサンドバーグを選出。次点はタイガースで活躍したルー・ウィテカー。
サード:マイク・シュミット
1980年 150試合 .286 157安打 48本塁打 121打点 12盗塁 fWAR9.0

ポジション別最強選手を決める際、だいたいポジションは激しい論争になるが、サードはマイク・シュミットで満場一致。史上最高の三塁手と評される通り、サードとしては歴代トップのfWAR(106.5)を積み上げており、80年代には3度のMVPを受賞。同年代サードには稀代の安打製造機ウェイド・ボッグズや、ジョージ・ブレッドもいたが流石にシュミットには敵わない。
ショート:オジー・スミス
1989年 155試合 .273 162安打 2本塁打 50打点 29盗塁 fWAR6.7

バッティングでの貢献度こそは低かったが、歴代最高と謳われるショート守備と80年代のスモールベースボールの象徴的選手であることを考慮してスミスを選出。80年代のショートはアラン・トランメル、カル・リプケン、ロビン・ヨーント、オジー・スミスの実質4強であり、有識者によって意見が分かれるところ。
ライト:デール・マーフィー
1987年 159試合 .295 167安打 44本塁打 105打点 16盗塁 fWAR7.1

MVPに2度輝いた80年代を代表する外野手。バッティングでは82年から4シーズン連続でシルバースラッガー賞。守備でも強肩を武器に82年から5シーズン連続でゴールドグラブ賞を受賞。83年にはNPBでいうトリプルスリーを達成している。マーフィーは80年代中盤まではセンターを守っていたが、終盤はライトへコンバート。今回はライト枠で選出したが、センターとして選ぶ有識者もいるのではないだろうか。
センター:アンドレ・ドーソン
1982年 148試合 .301 183安打 23本塁打 83打点 39盗塁 fWAR7.3

80年代のセンターはアンドレ・ドーソン、デール・マーフィー、ロビン・ヨーントの3強。今回選んだドーソンはMLB史上4人しかいない400本塁打・300盗塁を達成したパワーとスピードをハイレベルで兼ね備えた外野手で、俊足を活かしたセンター守備でゴールドグラブ賞を8度も受賞。
レフト:リッキー・ヘンダーソン
1985年 143試合 .314 172安打 24本塁打 72打点 87盗塁 fWAR9.7

80年代のスピードを重視するスモールベースボールの象徴的存在のひとり。ヘンダーソンはこの10年間で驚異の838盗塁を記録し、83年にはMLB記録となるシーズン130盗塁の偉業を達成。また、リードオフマンとしても優れており、出塁率も毎年4割近くをキープしていた。
DH:ポール・モリター
1987年 118試合 .353 164安打 16本塁打 75打点 45盗塁 fWAR6.0

フルタイムのDHというスタイルが確立されたのは、90年代に入ってから。今回はDHとして初の殿堂入りを果たしたことを考慮してモリターを選んだが、同じくDHとして殿堂入りしたハロルド・ベインズを推す層も一定数はいそう。
先発
このディケイドは先発投手で圧倒的な成績を残し続けたピッチャーが少ないのが特徴。今回は、色々悩んだ結果次の5投手を選出。なお、今回は惜しくも選外になったが最後まで悩んだ投手としてブレット・セイバーヘイゲンとデーブ・スティーブがいる。
1985年 35登板 24勝4敗 防御率1.53 268奪三振 fWAR8.9

メジャー2年目の85年に防御率1.53、rWAR12. 2と球史に残るレベルのピッチングを披露。
80年代後半に入ってからはドラッグの影響で支配力こそはやや色あせたがそれでも80年代の平均勝利数は14.2勝とエースとして申し分のない活躍。
35登板 23勝8敗 防御率2.26 178奪三振 fWAR4.0

ドジャースのエースとして84年から安定したピッチングを披露。
キャリアハイの成績を残した89年にはMLB新記録となる59イニング連続無失点という大記録を成し遂げ、サイ・ヤング賞のタイトルを獲得。
1981年 25登板 13勝7敗 防御率2.48 180奪三振 fWAR4.9

鋭く曲がるスクリューを武器にサウスポーとしては80年代最多となる128勝をマーク。また、メキシコ出身投手のパイオニア的存在であり、唯一のサイ・ヤング賞投手でもある。
1983年 37登板 20勝13敗 防御率3.34 232奪三振 fWAR6.2

このディケイドでエースとして活躍した投手の中では、唯一の殿堂入り。防御率はだいたい3点台半ば~4点台と圧倒的な支配力こそはなかったが、高い完投能力と故障しらずのフィジカルで80年代では最多となる162勝をマーク。
1989年 32登板 16勝10敗 防御率3.20 301奪三振 fWAR7.0

ライアンの全盛期は紛れもなく70年代だったが、同年代はあまりにも層が厚く入り込めなかったため80年代枠で選出。
87年には40歳ながらリーグ最多の270奪三振、89年には301三振とドクターKぶりは最後まで健在。
リリーフ
1980年代は投手分業制が進み、球史に残る名クローザーが次々誕生。今回はその中で殿堂入りを果たしたブルース・スーターとリー・スミスを選出。
他の候補としては同年代に最多となる238セーブをマークしたダン・クイゼンベリーが挙げられる。
1983年 66登板 4勝10敗 防御率1.65 91奪三振 29セーブ fWAR2.4

1984年 71登板 5勝7敗 防御率1.54 77奪三振 45セーブ fWAR1.5

ユニフォーム&チーム設定





パワナンバー 20000 30090 55746
※パワプロ2025でもダウンロードできます。
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